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2006-11-13 00:05 | カテゴリ:飼い主の生活

さて、先日のダライ・ラマ東京講演の要点を書きとめておきましょう。


「今日は、仏教徒であるとか、チベット人であるとかではなく、一人の人間として経験をシェアしたい。宗教的な話ではなく、世俗のレベルで価値観や倫理観をお話するほうがより多くの方の心に届くことができるだろう」


と冒頭でお話されたとおり、今回の講演は法話ではなく、あくまで法王ご自身の経験に基づく倫理観を講演するというスタイルでした。分かりやすい表現で倫理観・道徳観についてお話される姿は、私自身には小学校の頃お世話になったちょっと風変わりだけどいつも生徒のことを気にかけていたある校長先生の姿に重なりました。


今回の講演のキーワードは"compassion"だったと思いました。
宗教的に訳せば「慈悲」
世俗的に訳せば「思いやり」
公演中何度となく繰り返された言葉です。


では、長くなりそうなので要点を「続き」に書き留めます。


仏教は宗教というよりも、心の科学であり、ヒューマニズムであり、そのコンセプトは日々の生活に関連している。(Hiroko : ここでのコンセプトは「教義」と解釈してもよいかも)
日本には仏教以前の古来から伝統的に神道があり、その土台となる考えは自然も含めた他の存在に対する尊敬の念であると理解している。近代的発展を遂げながらも伝統を受け継ぎ、他者への尊敬の念を持っている日本人には感心する。


どの国でも古代においては精神性を重視していた。これが19世紀、20世紀に入るにつれ、物質主義へと移行し、人々は時として人間性を忘れてしまった。そんな中で信心はある種の人々には希望を与えたが、目に見えた「物質」を与えるようなものではなかった。


20世紀後半に入り科学がより進歩するにつれ、人々はより内面世界、つまり脳やニューロンなどへ目を向けるようになり、社会問題と人間の心の関連性の研究や解明へと目が向き始めた。そんな中でも依然として世界の多くの地域、特に西洋では物質的な豊かさを追求する傾向が強く、そのような状況では人間はロボットのようになってしまう。特にそのような社会では物質的繁栄、富や権力は手に入れたが、心は満たされず、自分はなぜ幸せではないのか?と迷う人々が現れた。そのような思いから中には100%宗教に依存する人々も現れた。


我々は今、倫理的危機の時代に生きているといえる。


近年人々の生活は以前にも増しますます忙しく、TVなどの情報も多く、人々の気持ちは外に向いている。親は忙しく、子供に目を向ける暇がない。人々の間には「他人の助けは必要ない」「自分のことだけ何とかすればいい」という考えが広まり、まるで人々は大きな機械になってしまったようだ。人々はもっと自分の社会に目を向けるべきである。


神を信じる宗教には絶対的な存在がある、例えばキリスト教やユダヤ教、イスラム教などがこのカテゴリーに入る。一方で仏教はもともと無神教の人々が起こしたものであり、宗教的な信心のもとに修行を行い、全ての宗教に等しく尊敬の念を持っている。しかし、どの宗教も世俗の倫理を説いている点で同じである。


サンスクリット語の仏教用語に「カルラ」という言葉がある。これは愛、慈悲、やさしさ、思いやりなどを表す言葉である。
生き物の中には亀や蝶や鮭のように産んだら産みっぱなしで子育てをしない生き物もある。このような子育てをしない生き物には母と子のつながりは存在しない。もし親子の亀を一つの箱の中に入れてみたとしても、互いに親子だとは認識しないだろう。
一方で人間にとって愛情は非常に大切なものだ。母親が子供に対して注ぐ無条件の愛に代表される愛情は肉体の内面から自然に発生するものである。
人間は愛や慈悲の心に依存した存在であり、より多くの愛情を注がれたものは他者により深い愛情を注ぐことができる。


他者に対する思いやりは全ての土台。
我々年長者は教育を通して若い世代に思いやりの心を育てることが何よりも大切。
これこそが世俗の心理である。


・・・・と、以上が講演内容の概要。
思いやりが大切ですよ、若い世代にも思いやりの心を育てましょうね、という非常に当たり前だけど、とっても大切なこと。法王も講演の最初の方で「最近子供の自殺が増えていると聞き、深刻な事態だと憂慮している」と言われていたとおり、日本人が思いやりを失いはじめていることが最近の社会問題となって現れていると思います。


講演を聴いて、「おお~、ダライ・ラマ法王様!」というような衝撃的なインパクトはありませんでした・・・少なくとも私には(笑)。その代わり感じるのは大きな安心感。
「ああ、ダライ・ラマも私もおんなじなんだな。自分の中にもこの方と同じ可能性があるんだな」と思わせてもらえる、それがこの方の凄いところであり慈悲深さであり、ダライ・ラマたる所以なんでしょうね。


講演の後、質疑応答がありました。
これがいろんな意味で本編の講演より凄かった。
その内容はまた今度。

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